気体が圧力に比例して溶けるといっても、すぐにいっぱい(飽和量)になるわけではありません。例えば、水深20mに潜ったらすぐに窒素が3倍の量(飽和量)になるということではなく、水深20m(3気圧下)での飽和量に達するまでには時間の経過が必要です。
逆に圧力が下がっても、すぐにその圧力下の飽和量まで減少するわけではありません。潜水後の窒素も、やはり時間の経過とともにじょじょに減少し大気圧における飽和量にもどります。
窒素の溶解量や排出量は、圧力と時間とに関係します。
血液は、肺で空気に接していますから、窒素をいちばん速く吸収します。そして窒素は血液で運ばれ、血液より窒素分圧の低い組織へと溶解します。つまり全身に拡散していきます。血液から組織に溶解は圧力勾配、すなわち気象でいう圧力の傾度力によって行なわれます。
組織はおおまかに水性組織と脂肪組織に分けられ、両者では窒素の溶解量や溶解速度が異なり、窒素は水性組織では速く溶解し、脂肪組織では遅く溶解します。また、身体全体では脂肪の分布も異なっているので単純にはいきませんが、神経細胞の脂肪(ミエリン鞘)は、他に散在する脂肪よりずっと速く飽和されるので、深くて時間が短い潜水では脊髄型のような重度の減圧症をおこしやすく、浅く長い時間ではベンズのような関節痛を伴う減圧症を起こします。
特に、窒素の排出は複雑な過程をたどります。窒素の吸収は、血液と各組織の窒素分圧の一方的な勾配をみるだけでいいのですが、減圧過程でも、潜水を終えて大気圧下に戻っても、順当に肺から排出される窒素もあれば、まだ窒素を吸収している組織があるかも知れないのです。このために、窒素の排出は、溶解と同じような経緯をたどるとはいえません。
次に、どのくらいの圧力差や浮上速度で気泡ができるかということになりますが、さまざまな研究と実験によって、
- 窒素が身体の中で気泡化しない圧力差は、1/2の圧力差である(ホールデンの定律)。水深10mから水面、水深30mから10mの移動では気泡が発生しないという理論で、水深10m以内の潜水なら、いくら潜っていても気泡は発生しない。
- 窒素が組織に浸透する速度は、時間の平方根に逆比例する。すなわち、与えられた時間tにおいて、組織の窒素溶解量Qは、時間tの平方根に比例する(Q=Kt1/2:ヘルプマンの式)(注)。
が得られ、これを基礎にして窒素が身体の組織に溶解し、組織から排出される研究が積み重ねられ、安全に潜水するための工夫がなされてきました。
このふたつの基礎理論に、半飽和時間とM値という概念が加えられてできたのが今の減圧表です。
窒素が組織に浸透する速度は、時間が経つに連れ遅くなります。そして浸透する窒素量は、ヘルプマンの式つまり指数関数曲線を描きながら浸透します。指数関数の特長は、時間がたって飽和量に近づくほど、溶解する量は小さくなり全体として把握しずらくなります。
そこで、身体全体の組織を、飽和の半分の窒素量になるまでの時間(ハーフタイム:half time)でわけました。半飽和5分組織・10分・20分・40分・75分というように区分けして、前記1対2の減圧比で、それぞれの組織に対して気泡が発生しない減圧時間が計算されました。これも、英国ホールデンによって示されました。身体のどこが、半飽和何分組織だということでなく、あくまでもモデルとしての身体区画(コンパートメント)です。
ここでよく考えてみると、窒素が排出されるまでに要する時間は、ダイバーが浮上する時間より長く、浮上時において各組織内の窒素量は、1気圧における飽和状態を越えているはずです(過飽和)。このことは、組織は過飽和になっても、ある程度の量まで、窒素は各組織内に溶解することができるということですが、やはりものには限度があって、過飽和状態で許容できる窒素の量にも限界があります。モデルの組織が最大限耐えられる窒素分圧をM値といいます。各組織でM値を超えると窒素が気泡化して減圧症が発症します。
安全に浮上するには、各組織の窒素分圧量がM値になるまで、一定水深にとどまる、すなわち、減圧停止をしなければないません。M値は、水面窒素分圧との比(ratio)です。
[各半飽和組織のM値(U.S.NAVY「U.S.Navy Diving Manual」 (1979年)]
半飽和組織→ |
5分 |
10分 |
20分 |
40分 |
80分 |
120分 |
160分 |
200分 |
240分 |
3m減圧停止 |
3.19 |
2.70 |
2.21 |
1.72 |
1.65 |
1.59 |
1.56 |
1.56 |
1.53 |
6m減圧停止 |
3.74 |
3.19 |
2.67 |
2.15 |
2.05 |
1.96 |
1.92 |
1.90 |
1.87 |
9m減圧停止 |
4.29 |
3.68 |
3.13 |
2.57 |
2.45 |
2.33 |
2.27 |
2.24 |
2.21 |
12m減圧停止 |
4.84 |
4.17 |
3.59 |
3.00 |
2.85 |
2.70 |
2.62 |
2.57 |
2.54 |
15m減圧停止 |
5.39 |
4.66 |
4.05 |
3.43 |
3.25 |
3.06 |
2.97 |
2.91 |
2.88 |
例えば、半飽和時間5分組織では、窒素分圧が3.19[bar]を超えると水深3mで減圧しなければなりません。つまり、窒素分圧が3.19[bar]以下であれば浮上してもよい、ということです。
半飽和時間10分の組織では、窒素分圧が3.190〜3.68[bar]では、水深6mで減圧停止を、2.704〜3.19[bar]では、水深3mで減圧停止が必要で、2.70[bar]で浮上してもよい、となります。
窒素の溶解と排出は、指数関数によって推移しますから、窒素を順当に肺から排出させるために、一定水深に一定の時間とどまる段階式減圧法が当初からの浮上の方法だったのですが、このM値の導入によって、段階式減圧法がさらに有効になりました(ワークマン理論)。
一般スクーバダイバーは、無限圧潜水を旨とします。無限圧潜水時間は、各モデル組織の3mのM値を基準に求められ、その中で最も短い時間が無減圧潜水時間となります。水深の深い潜水では半飽和時間が短い組織、水深の浅い潜水では半飽和時間が長い組織、によって無減圧潜水時間が決まります。この結果は前記した、深くて時間が短い潜水では脊髄型のような重度の減圧症をおこす、浅く長い時間ではベンズのような関節痛を伴う減圧症を起こす、ということに一致します。
半飽和組織を5分や240分にとどまらず、もっと増せば減圧症の発症の可能性は低くなることが示唆されます。多くのダイビングコンピューターの減圧プログラムに採用されているには、半飽和組織を14〜16区画をしたものです(ビュールマン理論)。
減圧症は、圧力によって窒素が組織に出納する物理的な要因によります。感染症などと違い薬で治すことはできません。ですから、窒素が溶解する時間や量で区分けしたモデル組織、つまり溶媒ごとに窒素の出納を計算して減圧表が作られています。安全な減圧表を追及するならば、半飽和組織を際限なく設ければよいのでしょうが、モデル組織によってはM値が非常に小さくなり、机上の計算では潜れなくなり現実的ではありません。減圧表は、実験と研究の産物で、実際の潜水とある程度のところで妥協しています。このため、減圧表またダイビングコンピューターの指示どおり潜っても、減圧症が発生するおそれは残るのです。
そこで、体調を整える、換気のいい呼吸をマスターする、身体に必要以上の運動負荷を与えない、などの潜水する側つまりダイバーの自己管理が要求されるのです。
(注)
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窒素の溶解と排出は指数関数的に増減することを示すためにこの式で説明しましす。実際の計算ではもっと複雑な式が使われます。 |
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