肺の過膨張

 肺の過膨張による障害は、ダイビングでの障害のうち、最も重篤なもののひとつですから、充分に理解してスキルを体得してください。おさらいとして、スキンダイビングとスクーバダイビングの圧力と肺の体積との関係を整理しておきましょう。

 スキンダイビングは、水面で1気圧の空気を吸い息をこらえて潜ります。肺の体積は、かかる圧力によって小さくなりながら圧平衡をとります。小さくなれる限界の深さを越したときに、スクイズをおこします。つまり圧力によって、肺が押しつぶされることになります。

 スクーバダイビングは、いかなる深度でもそれに見合う圧力の空気を吸っていますから、肺は圧力によって押しつぶされることはありません。濃い(密度が高い)空気が供給されているからです。

 「気体の体積は、圧力に反比例する」ということから、例えば、水深10m(絶対圧力2気圧)に、体積1の風船があったとします。その風船を水面まで上げていくと、周りの圧力は1気圧に近づいていきますから、風船は膨らんでいきます。そして水面に到達したときは、風船の体積は2倍になります。

 これが肺だったらどうでしょう。つまり、呼吸をしない(息をはかない)で浮上すると、肺は水面で2倍の大きさにならなければなりません。しかし、実際には肺の大きさが2倍になることはないので、肺は膨張しすぎて、破裂などの障害を起こします。

 潜降中におこる障害はスクイズ、浮上中に起こるのが過膨張(エキスパンション)による障害ですから、本編では圧力の直接的作用2として区別しました。

 肺の過膨張による症状は、発生する部位によって異なります。

 

【エアーエンボリズム(外傷性空気塞栓症)】

 肺の過膨張による最も重状な障害です。周りの圧力(環境圧)が減少して、肺の最大容積以上に膨張した肺の中の空気は、肺胞を破いて毛細血管に入り、血液の流れに乗って心臓に行き、そこから動脈によって全身に運ばれます。よく、ストローでジュースなどを飲んでいるとき、ストローの中に空気が入ってジュースが途切れているのを見ますが、それに似た状態でしょう。

 空気が混ざった血液が脳細胞の毛細血管にいくと、その毛細血管を空気が塞いで細胞に新しい血液が供給されなくなります(注1)つまり、毛細血管内に空気の栓ができてしまうのです。脳細胞は酸素が途絶えるとすぐに壊れます。不可逆性壊死といって元には戻りません。これが生命の中枢である脳細胞のあちらこちらで起これば、重大な結果をまねきます。

[症状]
 エアーエンボリズムは、浮上後ただちに現われます。激しい胸痛、泡の混ざった血を吐く、麻痺、痙攣、意識喪失などの重篤な症状がみられ、ある場合には死亡します。
 惱細胞の症例より少ないですが、心臓の冠状動脈に塞栓が生じると血流が止まり心臓麻痺を起こします。


【気胸】

 肺を形作る胸膜は、肺胸膜と側壁胸膜の2枚の膜でなっています。肺胸膜と壁側胸膜の間を胸膜腔といいい、普段は空気はありません。肺胞が破れ胸膜腔に通じると、胸膜腔に空気が流れ込み肺は部分的あるいは全体的に収縮した状態になりなすが、これを気胸(自然気胸)といいます。
 気胸は、ふだん正常な人でも罹る疾患ですが、ダイビングにおいては浮上中これが起こると胸膜腔に入った空気は膨張するので、呼吸困難ばかりでなく血液の循環にも支障をきたします。

[症状]
 胸痛、呼吸困難、ショック、チアノーゼなどです。


【縦隔洞気腫】

 漏れた空気が肺門や、過膨張によって気管支が冒され、そこから空気が肺の中央にある縦隔洞という空洞に入ると、縦隔洞を広げ(縦隔洞気腫)食道や心臓を圧迫します。

[症状]
 エアーエンボリズムや気胸より、過膨張による疾患としては軽傷で、肋骨の下の痛み、呼吸困難などです。


【皮下気腫】

 縦隔洞に入った空気や皮下に漏れた空気が首に上がり、頚部に気腫(腫れ)を現わしたり、ものを飲みづらくしたりします。過膨張による疾患としては、最も軽傷です。

(注1)

血管は、網目のようになっていてある欠陥が塞がれても、測副循環という迂回路があるので末梢まで血液が供給されますが、惱や心臓の末梢血管には測副循環がありません。したがって壊死が急激におこります。

 

【スクーバダイビングの鉄則】

水深にして1.2m位から息をはかないで浮上しても、肺の過膨張による障害は起こるといわれます。

 浮上中息を止めてはいけません。普通に呼吸をしています。
 ○急激な浮上はいけません。

 息を止める・急激な浮上などは、何かに驚いたり不安になったりして、自己制御ができなくなった(パニック状況)ときに起こしやすいものです。パニックは、さまざまな心理的要因や肉体的要因で、突発的に恐慌状態になることです。

 パニックに陥らないためには、心理的、肉体的に強くなるほかありません。大事なことは、海やダイビングに慣熟(かんじゅく)していくことです。これが、ダイビングはキャリアのスポーツといわれるゆえんです。

 もし水中で困ったときは、次のセルフレスキューの手順で行動を組みたててください。

 まず、止まる(泳ぎなどを止め、岩などにつかまり、深呼吸をするなどして気持ち身体とも落ち着かせる)。
 
二番目に、考える(浮上するか、浅い方へ戻るかなど、安全をバディとともに次の行動を決める。)。
 
最後に、行動する(二番目の考えに沿った行動をとる)。


 また、水中の世界に魅せられ、ついつい残圧計を見るのを忘れエアーが切れてしまったり、タンクなどが何か引っかかって、器材をはずして浮上しなければならなくなったりして、呼吸が確保できなくなった場合は、次の方法によって浮上します。

 ○バディのオクトパスレギュレーターをもらい、通常の浮上をする。
    
オクトパス呼吸

 オクトパスレギュレーターは今や標準装備ですが、バディがオクトパスレギュレーターを装備していなかったら、

 ○バディのレギュレーターを交互に呼吸して浮上する。
    
バディ・ブリージング
 バディブリージングは、それぞれの呼吸回数は2回づつで、レギュレーターをもらったら、まず、もらったレギュレーターの水をだすために吐いて(レギュレーターのパージボタンを押してもよい)、吸って、吐いて、吸って、返す、を繰り返します。このとき、レギュレーターを使っていない人は、息を吐き続けています。

 万が一、エアーが切れバディともはぐれ、自分一人で浮上しなければならなくなったときは、 
 ○水面まで、息を吐きつづけながら浮上します。
(注2)
    
緊急スイミングアセント(フリーアセント)
 息を吐きっぱなしで浮上するなんて苦しい、と思われるでしょうが、練習を重ねればその思いも遠のきます。
 しかし、この方法も完璧ということでないので、エアーを切らす状況にならないこと、もしこうなったら、バディからオクトパスレギュレーターをもらい、通常の浮上をすることが肝要です。

 オクトパス呼吸、バディ・ブリージング、緊急スイミングアセントの練習は、必ずインストラクターのもとで行なってください。

(注2)

水泳では、水中に息をだすことをバブリングといっています。

 

【肺の過膨張による障害の応急処置】

 肺の過膨張による障害、特にエアーエンボリズムと気胸は、至急に医師による治療が必要です。エアーエンボリズムは再圧(注3)治療も必要になるので、病院へ運ぶ手配を整えますが、その間、罹患者を、気道確保ができる状態に寝かせ、できれば酸素吸入(注4)をほどこしながら運びます。場合によっては人工呼吸が必要となってきますが、泡の混ざった血をはいていれば血液による感染症も懸念される(注5)ので、ケースバイケースの対応が迫られます。
 縦隔洞気腫や比較的軽い症状の皮下気腫でも、必ず医師の診断を受けることが大切です。

(注3)

再圧室(チャンバー)という圧力室に患者を入れて圧力をかけ、血管の中に入ったり、発生した空気(気泡)をいったん血液に溶け込ませ、じょじょに大気圧に戻す治療法です。

(注4)

酸素は、医薬品の部類に入るために、酸素供給は医療者以外の者は医療法上できません。医師や救急救命士の要請をいち早くすべきです。

(注5)

感染の可能性としてはありますが、実際の報告はないということです。主に血液中のウイルスによって感染する後天性免疫不全症候群(エイズ)、B型、C型肝炎、呼吸器より入る結核等が考えらるということです。

 

【ざつがく事典】

 昔、アラフラ海で白蝶貝や黒蝶貝の採取が盛んだった頃は、スクーバはまだなくヘルメット潜水器によって行なわれていました。南の海ですから水温は高く、重装なヘルメット潜水ではダイバーは暑くて、相当な重労働を強いられていました。こんな状況で考えだされたのが、半式潜水具?というもので、潜水服を着ないでヘルメットを被るだけの潜水具を使うようになりました。今でいうと、グアムやサイパンで観光用で使われている潜水器と同じようなものです。

 さて、労働を終えたダイバーは、いち早く浮上するためにヘルメットを脱ぎ捨てて水面に戻りました。しかし、肺の過膨張など解明されていない時代だったので、ダイバーたちは息をとめたまま一気に浮上しました。その結果は悲劇となりました。これと同じようなことが、欧米の列強においても沈没した潜水艦からの脱出でおきていたようです。肺の過膨張を防ぐスキルとしての緊急スイミングアセント(フリーアセント)は、このような経緯から生まれました。